「大好きですよ、お父様。」著:車椅子生活をしている田中覚
# 大好きですよ、お父様。
### 著・車椅子生活をしている田中覚
私は、22歳のメグミ。
そして、この世で一番大切な人がいる。
私のお父様。
「大好きですよ、お父様。」
それが、私の人生で何度も繰り返してきた言葉だった。
お父様は、車椅子で暮らしている。
けれど私にとって、お父様は「車椅子の人」なんかじゃない。
私の世界そのものだった。
静かな朝。
窓から差し込む光の中で、お父様がこちらを見ている。
少し白くなった髪。
落ち着いた表情。
そして、どこか寂しさを抱えたような瞳。
私は心の中で思う。
――私って、ラッキーな女だ。
こんなにカッコよくて、渋くて、優しいお父様がいる。
そんな人が自分の父親だなんて、普通なら信じられないくらいだ。
「いけない」
私は小さく笑った。
「私、お父様に愛されていることを、ちゃんと自覚しなきゃダメね。」
すると、お父様が静かに言った。
「メグミ。」
「はい、お父様。」
「これ、今日の分だよ。」
お父様は、煙草を二本、私に渡した。
「一日に二本まで。この家の表で吸いなさい。箱には毎日二本ずつ置いておくからね。」
私は煙草を受け取った。
「はい、分かりました。お父様。」
たった二本。
けれど私にとって、それは不思議な時間の始まりだった。
---
## 喫煙の時間
家の表に出る。
風が吹いていた。
空は薄い灰色。
私は煙草を一本取り出した。
「マルボロ……。」
久しぶりだった。
二週間ぶりの煙草。
火をつける。
小さな赤い火が、一瞬だけ風の中で揺れた。
私は煙をゆっくり吐き出した。
「……美味しい。」
不思議だった。
煙草を吸っているだけなのに、胸の奥が少しだけ温かくなる。
私は空を見上げた。
青空ではなかった。
灰色の雲が広がっている。
けれど、その灰色が嫌いではなかった。
むしろ、好きだった。
なぜなら――
私には、灰色が似合う人を知っているから。
「お父様みたい。」
思わず口から出た。
私は笑った。
一本目の煙草を最後まで吸い終える。
火を消す。
小さな灰が、地面に落ちた。
私はその灰をじっと見つめた。
灰は、風に吹かれて少しずつ形を変えていく。
何かが燃えたあとに残るもの。
消えてしまったもの。
それでも確かに、そこに存在していた証。
私は思った。
――人の愛も、同じなのかもしれない。
形が変わっても。
時間が過ぎても。
言葉が少なくなっても。
心の中に残るものがある。
「お父様に似たマルボロ……。」
私は小さく呟いた。
「私、マルボロが大好きだからね。」
そして、空を見上げる。
「でも……。」
少しだけ笑う。
「やっぱり、お父様のほうが好き。」
---
その日の夕方。
家に戻ると、お父様はいつもの場所にいた。
「おかえり、メグミ。」
「ただいま、お父様。」
「今日は寒かっただろう。」
「少しだけ。でも、大丈夫。」
私はお父様の隣に座った。
しばらく二人とも何も話さなかった。
沈黙は、決して寂しいものではなかった。
長く一緒にいる二人にとって、沈黙さえ会話だった。
やがて私は言った。
「お父様。」
「ん?」
「私、お父様に言いたいことがあるの。」
「何だい?」
私は少しだけ迷った。
そして、まっすぐお父様を見る。
「私、お父様に愛されて育ってきて、本当に良かった。」
お父様は黙っていた。
私は続ける。
「世の中には、いろんな家族がいるでしょう?」
「ああ。」
「喧嘩したり、離れたり、会えなくなったり……。」
「そうだな。」
「でも私たちは、今日もここにいる。」
お父様は静かに笑った。
「そうだね。」
その一言を聞いた瞬間、私は涙が出そうになった。
私は急いで顔を背ける。
「泣いているのか?」
「泣いてない。」
「そうか。」
お父様は、それ以上聞かなかった。
それが、お父様の優しさだった。
---
夜。
私は自分の部屋の窓から外を眺めていた。
昼間の灰色の空は、いつの間にか暗い夜空へ変わっている。
私は今日吸った煙草のことを思い出していた。
一本の煙草。
二週間ぶりの味。
そして、灰。
燃え尽きたものは、もう元には戻らない。
だけど――
人の愛は違う。
一日が終わっても。
季節が変わっても。
歳を重ねても。
記憶の中で何度でも生き続ける。
私は胸に手を当てた。
そこには、確かにお父様との時間があった。
嬉しかった日。
悲しかった日。
笑った日。
何も話さなかった日。
全部が、私の人生だった。
私は静かに呟く。
「お父様。」
返事はない。
けれど私は続けた。
「私、これからもずっと覚えているからね。」
窓の外で風が吹いた。
灰色の雲が夜空を流れていく。
その向こうには、きっと星がある。
見えなくても、そこにある。
それはまるで愛と同じだった。
見えなくても。
触れられなくても。
心の中には、確かに存在している。
私は最後に、今日一番伝えたかった言葉を口にした。
「大好きですよ、お父様。」
それは恋ではない。
それよりもっと深く、もっと長い時間を超えていくもの。
親子という名前を持った、かけがえのない愛。
明日になれば、また朝が来る。
お父様はいつもの場所にいる。
私は「おはよう」と言う。
そして、お父様も「おはよう」と返してくれる。
それだけでいい。
世界がどんなに変わっても。
私たちの時間がどれだけ過ぎても。
この物語だけは、終わらない。
なぜなら――
愛は、灰になって消えるものではないから。
**大好きですよ、お父様。**
そして私は今日も、あなたの娘として生きていく。
――おしまい。
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